おとなのけんか/Pina


   



ダンスト様を大スクリーンで見ようとシネコンに『メランコリア』を見にいったものの、あっさり手持ち酔いで途中退出したりしている最近です。スクリーンの小さい映画館で再チャレンジしようかとひそかに考え中。子どもの頃、遊園地のコーヒーカップから降りた途端にリヴァースしたこともあったな、とトラウマが蘇りました。

おとなのけんか』(ロマン・ポランスキー

文句なく楽しい一幕物コメディ。アメリカ行けないポランスキー監督なのに、NYの設定なのね。窓外は合成?


子どもの喧嘩から二組の夫婦がどんどん大人げなくなっていき、夫婦vs夫婦、夫vs妻など、際限なく争い合う大人たち。そこに酒も入るものだからさあ大変。というだけの、ロングあるあるコントのような映画だけど、まあ場内爆笑に次ぐ爆笑でした。ポリティカリー・コレクト女を演じるジョディ・フォスターがキレて泣いたりしているのが小動物ぽくてかわいいやん、と思ったら、すかさず相手方の夫から「いやあ、かわいいね。オレが旦那だったら惚れ直すね」という突っ込みがちゃんとあったりして楽しい。原作はパリの設定らしいけれど、アメリカ人の設定にしたのは正解だったのでは。いやあ、大人ってロクでもないですね。という話をポランスキーがさらっと撮っているのも何だか怖いような気もする。いいんだろうか。

『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(ヴィム・ヴェンダース

3Dヴェンダースはどうなっているのか?と見にいったら、これがとてもよくて。最近のヴェンダース作品ではいちばん好きです。


わたしはもともとピナ・バウシュが好きで、といっても来日公演はそれなりの値段だったから、毎回すべての公演には行くことができなかった、くらいのファンだった(つてでゲネに潜らせてもらったこともあった。S、ありがとうよ)。きっかけは大学に入りたてのころ、ピナの舞踊団の来日があり、ピナと仲の良い先生の主催するピナゼミがあったことだった。そのとき初めてピナの踊りを見た。ピナとダンサーは大学にも来てくれて、間近で踊りを見ることもできた。パーティーにはもちろんピナ本人もいて、ずっとキャメルを吸っていた。あんなに優雅で静かな挙措をする人は、これより前にも後にも見たことがない。静かだけれどしっかりしたオーラのある人だった。魅力的だった。亡くなったときはただただ悲しかったし、この映画を見ながらも、ぐっとくることがしばしばあった。


映画のことに話を戻すと、そんなわけでピナのダンサーたちが踊るのを見ているだけでわくわくするし、楽しい。遠い(=安い)客席から見ていたダンサーの動きを、息遣いまで聞こえるほどの近くで見られるのも嬉しい。ヴェンダースの3Dはダイナミックな踊りを素直に見せてくれる。まずはここがいい。が、それだけではなく、ヴェンダースは3D特有のミニチュア感(「箱庭効果」と言うのかな、たしか。3D映像で、画面内のものがミニチュアっぽく見える効果)を大いに利用して遊んでもいた。この「遊び」はまさしくピナの精神をよくわかっている人のものだろう。まあ「異化効果」ではあるのだけれど、その言葉ではちょっと硬すぎるから、あえて「遊び」と言っておきたい。ピナの舞台には、悲しみ、遊び、そして愛があふれていた。この映画にも、ピナを失った悲しみと、3Dを使った遊び心と、愛があふれていた。


この映画には2Dも出て来るのだが、それはすべて、ピナを記録したフィルムだ。いま生きている人たちは3Dの世界にいる。死んだピナは2Dの世界にいる。そして2Dの世界に記録された『カフェ・ミュラー』を踊るピナの動きはやはりぞっとするほどに美しく、哀しく、優しく、優雅だった。ピナが3Dの世界に来ることはなかった。ヴェンダースはもちろん、このことを意識して3Dと2Dを混在させている。ピナと我々とを隔てる川がそこにある。


だからこの映画は絶対に3Dで見るべき映画だ。2Dではなく3Dで見るべき映画は、これが初めてでは?野外でのダンスも、ああ屋外での公演を一度見てみたかった、と思わせるくらいに違和感なく、かつ新鮮に収まっているし、もちろんただ見ているだけで楽しくなることは請け合いなので、すべての人におすすめします。