杉並有象無象デモ

久しぶりにデモに行ってきた。


参加者の数はピーク時に比べればだいぶ少ないし、シュプレヒコールも減っているし、警官の数も減った。殺気が少なくなった。
そのぶん、のんびりと歩く。それはそれで自然なこと、と思える。


気持ちのよい冬晴れの中、反原発の意志表示をしながら路上を歩く。それでいいじゃない、と思う。居心地はとてもよかった。演奏する人がおり、それに合わせて手もとのタンバリンやカスタネットを鳴らす人がおり、シュプレヒコールをする人がおり、歩くだけの人がおり、写真を撮る人がおり、旗を持った人がおり、着ぐるみを着た人がおり、赤ん坊がおり、老人がおり、おばちゃんも若者もいる。「歩き疲れた人に」と、カートにたくさん載せた駄菓子をタダで配っているおっちゃんがいる。党の人もいる。団体の人もいる。有象無象が集まって、路上を歩く。そんなこと、他にない。


成熟、なのかもしれない。無駄に警官に突っかかるような「運動系市民」のような人たちもいなくなってきた。みんながみんな毎回来なければならないものでもなく、来たいときに来る。そして路上を歩く。ゆるい、と旧世代は言うかもしれないが、じゃああんたらの激しい騒乱は後に何を残したんだと言いたい。ゆるくても大勢の人がやって来る。原発を止めたいと思っている人たちが、思い思いに集ってくる。これはこれで「何か」なのだろう。公園のようなデモ、とひとまず言ってみたい。


今回のデモは近くの商店街の人たちのバックアップがあったそうで、道中、商店街のおばちゃんが「← トイレ」と書かれた札を持って立っている。札の先のお店が、デモ隊のためにトイレを開放してくれていた。駄菓子のおっちゃんも商店街の人かな?ゴール地点が小学校のグラウンド、というのもとてもよかった。