the place named


渋谷ユーロスペースにて開催中の「桃まつり」の一篇、『the place named』(小森はるか)。


蓮実重彦氏のコメントを読むまでもなく、小森さんが「撮れる人」だというのは知っている。映画美学校に在籍中から、とりわけ空間と光線の捉えかたについては、飛び抜けた存在だった。


今回の作品『the place named』では、田舎町の日常を生きる女性と、ソーントン・ワイルダーの『わが街』の稽古をしている女性とが、出会うことなく交錯する。さすが蓮実氏が指摘しているように、列車が闇から出てきて闇に帰ってゆくあのカットには目を見張るし、日常サイドの女性の自室も、時折はさまれる寄りのカットはあまりよくないなあ、などと見ていると、引きのカットでおお、と思う。


稽古場で、発話していない人たちの佇まいがいい。そうした人たちが、すっとその空間の中に収まっている、その切り取りかたがいい。緊張感がありながら、だらけている感じと言えばいいか。各人の佇まいがそれぞれに異なっていて、それでも何かを共有している。その共有している何かは、こちらからは窺いしれない、そんな感じだ。「人がただそこにいる」ことを撮ることほど難しいこともないが、小森監督はやすやすと撮ってしまう(ように見える)。このシーンでの、台詞の発音も面白く、音と画がしっかり拮抗する。やや単調になるきらいはあるものの。そして、主演の女性が床から離れたとき、いかなる輪郭に収まるか。ここがまた素晴らしいので、ぜひお見逃しなく。


神社にいる日常サイドの女性のところに電話がかかってきて、女性は背を見せて向こうにゆく。キャメラ自体の場所は動かず、ズームで女性を追う。声が遠くなり、何を喋っているかわからなくなるのだが、いつの間にか、というカット、画質は粗いしがくがくしているしフレーミングも安定しない。音も一瞬遠くなって、また戻ってくる。にもかかわらず、というかだからこそ、きっとこの一度きりしかなかっただろう、という決定的な何かがそこにあって、胸を衝かれた。


上映はあと2日。興味を持たれた方はぜひ見に行ってみてください。