消耗品の死ぬ権利


 


エクスペンダブルズ2』(サイモン・ウェスト
終の信託』(周防正行


すっかり映画を見られなくなって、テロップがどうとか、見る人への配慮がとかそんなやりとりばかりを仕事でしていると、『エクスペンダブルズ2』の冒頭、人がガンガン血を噴き出して死んで行くのを見るだけで、ああこれが見たかったんだよ、と爽快に感じてしまう。冒頭シーンから持ってくるベタなオチも笑ったし。という自分に気づいて、人としてまずいんじゃないのこれ、とちらっと思ったりもしましたが。


エクスペンダブルズ2』は全篇そんな映画で、「負け犬」要素が薄くなったぶん、ただのアクション映画になってしまった感も否めないけれど、ザ・アメリカ映画な軽口セリフのやりとりは堪能できた。「クラッシックで行くぜ」て言ってんのに「ガチンコ」と訳したり、「fan」が「男祭り」になってたりするのはどうかと思うけど、そんな些細なことはまあ大したことじゃない。チャック・ノリスがいいところで出てきすぎでも、そんなことはいいじゃない。スタローンが(ほぼ)楽しそうにしてる、「やや単調な、普通のアメリカ映画」になっていて、個人的にはそういうものに飢えていたので、何か満たされたような気分になったのでした。「オマエ、まさかアレやるつもりか?」「ああ、アレいくぞ」なんていう、スタローンとジェイソン・ステイサムのやりとりを横で若い女がポカンと聞いているうちに……なんていう展開を見ているだけで安心するし、「戻ってきすぎだろ」には噴き出した。それにしてもスタローン、地の底から響いてくるような声になっていて、亡霊化が進んでいるような。まだまだこれからが楽しみ。


打って変わって、その翌日に見た『終の信託』。地味で暗い……のだけど、冒頭数カットとか、草刈民代がポツンと佇む待合室の照明の変化の具合とか、クライマックスの鬼気迫る対話シーン(大沢たかお!)を見るだけで凄い映画だとわかるはず。『アウトレイジ ビヨンド』の北野武のような、壮絶なところに周防さんは達してしまっているような。端正さが凄みにまで達してしまっている。


このほとんどが会話で構成された映画を見終えて、「死ぬ権利」の話はそうそう簡単に結論が出るものじゃないことは重々承知しつつ、しかしストレートな気分としては、おれたちには自分の望むように死ぬ権利すらないのか!と思ってしまったのは、これを見たのが休日のシネコンだから。


1800円という、安くはない金を払って映画を見に来た客を、まるで奴隷のようにずらずらと、延々エスカレーターで上の階に向かわせる。エレベーターはたった一基。しかも係員が「エレベーターは奥にあります」とアナウンスしていても、なぜかみなエスカレーターで上に向かう。3Fから11Fまで。こんな状況を見ていたら悲しくなってしまって。何で金払った上でストレスと時間の無駄を与えられにゃいかんのか。インターネットで席の予約ができるのは、確かに客にとって便利な面もあるだろうしサーバーのメンテや何やで費用もかかってるだろうけど、映画館員のする仕事を客が代わりにやってるようなものなのに、なんで鑑賞料金は下がらないのか。


いちばんの疑問は、そりゃアテネフランセみたいな、好き者が好んで来るようなところでなら並ぶのもまあ好きのうち、ということでわかるけど、どうして資本を潤沢に持った東宝やら松竹やらが、客にわざわざ不快を強いるような建物を造って、それを「サービス」とぬけぬけと称しているんだろう。怖いのは、もしかしたら客にとってもそのほうがイベント性が高まって満足度が上がる……なんてことが起こってるかもしれないことで、そんなことはないと信じたいけど、「ラーメン屋に何時間並んだ」とか「何日連続徹夜した」とか、たまに自慢げに言ってる人がいるのを見ると、ちょっと不安になる。いや、もちろん並んでも食べたい気持ち自体にケチをつけるつもりはまったくないし、どうしても終わらなくて徹夜が続くこともあって、それにはもう「おつかれさまでした!」と思うのだけど、その「並んだこと」「徹夜したこと」自体を誇らしげに語る人がたまにいるように、「映画館でこれだけ列に並んで長距離移動をさせられた末に見た」ということが、映画のプレミア感を高めている、なんてことだったらどうしようかと……。


そもそも上映前の「映画泥棒」だって、あれは金払ってわざわざ映画館に映画を見に来てる客に「盗むな」と言ってるわけで、あれって例えば服屋に入った瞬間に、「万引きは犯罪です」とわざわざ言われるのと同じこと。こんな失礼な話はないだろう。下手に指定席制が広まってしまった結果、ミニシアターなんかだと混雑状況もわからずに席を選ばされ、いざ映画が始まったら、2列くらいだけがきちきちに詰められてあとはガラガラ……とか、そんなのも、どうせシステムは入れてんだから、現在状況を表示させるiPadか何か、その程度のものがあれば、状況を見ながら席を選べるようになるはずなのに、それもなし。初めて行った劇場でスクリーンの大きさもわからないまま席を選ばされ、後になって「変えて」というと、「お客様が選ばれた席ですから」と自己責任論をぶたれるわけで、何でそんなことになったのか。


「死ぬ権利」から随分離れてしまったけれど、この映画を見た後、そんな怒りがふつふつと湧いてきたのだった。もちろん、頑張ってて気持ちのいい映画館も沢山あるわけで、死ぬときだって、「シネコン的な病院」で死ぬか「ミニシアター的な病院」で死ぬか、自宅で死ぬか、とあれこれ選ぶ自由はそれなりにあるんだろうけど、「シネコン的な病院」でだけは絶対に死にたくないな。世の中はシネコンとかファミレスの方向にどんどん向かってるけれど、それは「国防軍」なんて言い出す党首が出て来るのと表裏一体だと、おれは信じているから。

※11月25日追記

こんなニュースもつい最近あったようです。
「12年間植物状態だった男性と脳スキャンで対話することに成功 : ギズモード・ジャパン」
http://www.gizmodo.jp/2012/11/12_12.html