マーヴェリックス


爆音収穫祭にて『マーヴェリックス』(カーティス・ハンソン)。


海辺で遊ぶ健康的な少年と少女が出会うのは、イカした中年サーファー。世界がずっとこんなふうであればいいのに。でも残念ながら、世界はそんなもんじゃない。少年はアル中気味の母親を抱えてピザ屋でバイトする青年(サーフィンはうまい)になっているし、少女はチャラいギャル(年の割に老け顔)になっている。イカしてたはずの中年は孤独を抱え、できた妻がいないとまともに生きていけない(たぶんあんまり働いてない。すぐに職場でキレて辞める)。うまくいかない。でも誰が悪いわけでもない。


この映画にはそんな人たちしか出てはこないし、波に乗ったからといって何が解決するわけでもない。それでも青年は「あの波」に乗ろうとし、中年は青年を不器用に導く。そしてその導きとは、死なないための訓練なのだ。大波が頭上に落ちてきたときに死なないための、頭脳と身体の訓練。体力がなければ死ぬ。肺活量がなければ死ぬ。パニックを起こせば死ぬ。それは両親がいないこと、父がいないことと同じで、変えようのない事実なのだ。


だからこの映画で波は残酷でも優しくもなく、ただ荒れ狂い、重低音を轟かせる。圧倒的に。それは人智を超えたものとしてあり、中途半端に挑めば、容赦なく海の底に引きずられて窒息するか、岩に叩きつけられて砕けるしかない。そうしたものと知りつつ、サーファーたちは波に挑む。怠りなく準備をして。だからベテランはいとも易々と波を乗りこなしている、ように見える。


波のように何度も何度も語られる「家族」「孤独」「青春」を丁寧に語りきるカーティス・ハンソンもまた、この映画をそんなふうに作ったのではないか。体力と頭脳をフルに駆使して。あのビッグウェーブを実際に撮影するのは並大抵のことではなかったろうし、また、脇の人物に至るまで、人を見る視点は限りなく優しい。いまどき「手紙」をキーポイントに持ってくる演出も、さらっとやっているようだけど、あんなことはなかなかできない。おかげでボロボロ泣かされたわけだけど。


誰もが「自分の波」を抱えていて、一人では波の向こう側に行くことができないし、行けるようになったとしても、「Don't go near the water」という人の言葉に耳を傾けることのほうが大事なときもある。深淵を覗き込んでしまっても、別の帰り道を誰かが知っている。「We are not alone」、とある映画に出てきたそんな言葉を思いだした。