クレイジー・ホース & ハスラー

  


『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』(フレデリック・ワイズマン)。


いつもながらのワイズマンっちゃワイズマンだけど、ちょっといつもより弱いなと思ってしまったのは、きらびやかな色彩のデジタル映像の、のっぺりした感じにいまいち乗りきれなかったためか、あるいは踊り子さん側が面白そうなのに、そこが少なめだったからか。踊り子さんたちがバレエNG集みたいなのをTV画面で見ていてゲラゲラ笑っているシーンはとても無意味で、最高によかったけれど。とはいえ監督は男ならキャメラも男(いつものジョン・デイヴィーさん)でよくもまあおっぱい丸出しの楽屋にキャメラ置けたなと。かなりお尻に寄ってくことが多かったのは、監督のお好みなのかキャメラマンのお好みなのか。


白眉は新ダンサーのオーディションシーンで、あからさまに移民系の多い応募者を丸裸にして並ばせる。前半のシーンで「オレはアートやってるのよ」と言い放つ経営者がただの女衒と化す。この白々しさに向けての編集だったからこそ、オーラスは踊り子とも経営者とも関係のない、あのカットだったのだろう。ほんとはもっと踊り子を撮りたかったけど、さすがに前張りを貼るところを撮らせてもらうわけにはいかんしなあ、という事情もあり、ワイズマンとしては消化不良感があったのではないか。とは思いつつ、案外ご本人はあの白々しさが出せればいいんだよね、くらいに思っているのかもしれない。


ショー自体もまあすぐ飽きるわけですが、ショーパートのラスト、”アートストリップ”のBGMがあんなに微笑ましくていいんですかね、クレイジー・ホースさん。そこはもっと頑張ったほうがよくないですか。芸術監督、ノリノリになってる場合ちゃうんちゃいますかね。


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今日は先週の『ロンゲスト・ヤード』に引き続き、日比谷みゆき座にてロバート・ロッセンの『ハスラー』を見た。フィルムで見たのは多分初めてだけれど、オイゲン・シュフタンの、あの黒こそが生きていてそれ以外はどことなく白々しいようなあのトーンをフィルムで見られるのはいつまでなのだろう。もっともロッセンの映画を見ていると途中から画調を意識する余裕もなく、闇へ闇へと放り込まれていくのだが、どんどん個人的なほうへ行きそうだからこれ以上書かない。そもそもバックの音がほとんどないシーンが頻出する映画なのだが、最後10分くらいの、ボール以外の音がすべて消えてしまったようなあの重苦しい沈黙は客席を完全に支配していたし、映画館を出た身体の核にも、あの沈黙がまといついていっこうに離れようとはしない。