砂漠

ときどき、無性にロッセンの映画が見たくなる。それは『リリス』であったり『コルドラへの道』であったりするのだが、『リリス』の病みきったファンタジーと同じく、『コルドラへの道』の複雑な鬱屈は胸を打つ。「勲章を貰う予定の兵士たちをコルドラまで、生かしたまま連れて行く」のが、かなり老いたゲーリー・クーパーの任務なのだが、クーパーはかつて戦場で、怯えて壕に逃げ込んだ(のだか何だったか)過去を持っている。そしてクーパーが護送する「勲章を貰う予定の兵士たち」がまた皆揃いも揃ってクソ野郎たちで……そこに荒んだリタ・ヘイワースが現れたりするものだから、白昼のしらじらとしたバッドトリップのような、誰もカタルシスなど感じないであろう、そんな映画なのだ。そういえばニコラス・レイ『にがい勝利』の砂漠もまた、しらじらとしていた。ここに『飛べ!フェニックス』の砂漠を加えて、砂漠オールナイトをやってみたい。明け方には誰の顔もひび割れてきているかもしれない。

ヘルタースケルター




ヘルタースケルター』(蜷川実花)。


「最初に一言、笑いと叫びはよく似ている」……冒頭のこの言葉を完璧にやりおおせた沢尻エリカに拍手。イメージになった女、りりこは「内面」を持てない。そんなものがあったとしても、それもよくあるイメージ、クリシェにしかなりえない。沢尻エリカの芝居はまさにそれを実践していた。低い声と高い声を使いわけ、「叫び」のシーンでは両方の声が同時に噴出してビブラートする。沢尻エリカの、あの叫びには震えた。凄かった。


沢尻エリカがそんな芝居をしているのに、とくに後半、「描写」を持ち込もうとうする監督には苦笑いするしかなかったけれど(あそこまでの芝居があれば、終盤の雨のシーンなんか丸々いらない。ただアザが増えていくだけでいい)、原作に忠実にやると決め、沢尻エリカに全面的に託すと決めたのは監督なのだから、それはよかったのではないかと。とりわけ前半、原作通りということで物語が増えたので、監督お得意の「描写」を入れる余地がなくなったのは大きなプラスだろう。後半でまたぞろつまらない「描写」を入れてくるあたりはほんとうに駄目だと思ったけれど……。


開巻早々の全裸〜ファックから、沢尻エリカの本気に目が離せなくなる。このあたりのスピードもいい。岡崎京子のぺらぺらの画は『ヘルタースケルター』や『リバーズ・エッジ』では物語に負けすぎだと思うけれど(岡崎京子でわたしが好きなのは『ハッピィ・ハウス』と『pink』)、映画版でいきなりモロでつるんとした肉体が目の前に現れるインパクトは確実にあった。最初のファック相手、クボヅカがまた相変わらず上手い。ついでに、哀川翔のコメディアンっぷりにも笑った。


「神」の位置にある検事役が大森南朋だったのは残念。あんなに地に足のついた人でやっちゃいけない。あと、寺島しのぶと彼氏役のおにいちゃんはどうしたって犬のように全裸で醜くファックしなきゃいけない。そんなあれやこれやはあったけれど、とにかくあの沢尻エリカは見ておくべし。渋谷の映画館、場内の観客が全員明らかに自分より若くて怖ろしかったが(わたしもまだ30代になったばかりなのだが)、見てよかった。

燃える夏


 




暑い。暑い。暑いので省エネ運転します。

花つみ日記(石田民三


神保町シアターにて。歌は4度歌われる。群舞として、合唱として、並行モンタージュで、そして救いとして。冒頭の群舞はファシズム下の軍隊を軽やかに跳ね飛ばすものとしてあったのかもしれない(余談だが、幾何学的な群舞を見るとすぐに「バズビー・バークレー」と言う人がいるが、あれはやめていただきたい)。3度目の歌は、決してありえないデュエットとして歌われる。それ以外に賛美歌まで響いてくる。過剰なまでの歌の使いっぷりと叙情は紛れもなくこの監督ならではで、しかもこの映画は女性同士のメロドラマ。日本映画史上で最強のメロドラマ監督は石田民三だと、わたしは確信している。

灼熱の肌(フィリップ・ガレル


いいフィルムだったなあ、と思わせてくれる映画だった。ただそれだけ思えるような、そんな映画だった。そんな映画はもちろん、滅多にあるものじゃない。元は35mmらしいのだけど、この映画については、デジタル上映が正解だったような気もしてくる。デジタルの空々しさ、軽さが、この映画の描く「弱さ」や「普通であること」に寄与していたのではないか。枕元に現れるガレル父がガレル息子に(=ガレルじいちゃんがガレル孫に、なのだが役柄の上では父が子に)言う、人生は小さなものの積み重ねだと。そんなことは言葉にすればクリシェでしかないのだけれど、ガレルはそのクリシェを愚直に撮った。かっこ悪いものを美化もせず貶めもせず、そのまま撮った。久しぶりに、心から好きだと思えたガレル映画だった。


アメイジングスパイダーマン(マーク・ウェブ)


エマ・ストーンの声はなんであんなにしゃがれているのだろう。なんでずっとミニスカ+ロングブーツなんだろう。家の中でもロングブーツを履いてるのって、アメリカでは普通なの?ダンスト様がいない今回のスパイダーマン、運動感覚と物語がいちばんよく噛み合っていたのは屋上のキスシーンだったと思います。

クレイジー・ホース & ハスラー

  


『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』(フレデリック・ワイズマン)。


いつもながらのワイズマンっちゃワイズマンだけど、ちょっといつもより弱いなと思ってしまったのは、きらびやかな色彩のデジタル映像の、のっぺりした感じにいまいち乗りきれなかったためか、あるいは踊り子さん側が面白そうなのに、そこが少なめだったからか。踊り子さんたちがバレエNG集みたいなのをTV画面で見ていてゲラゲラ笑っているシーンはとても無意味で、最高によかったけれど。とはいえ監督は男ならキャメラも男(いつものジョン・デイヴィーさん)でよくもまあおっぱい丸出しの楽屋にキャメラ置けたなと。かなりお尻に寄ってくことが多かったのは、監督のお好みなのかキャメラマンのお好みなのか。


白眉は新ダンサーのオーディションシーンで、あからさまに移民系の多い応募者を丸裸にして並ばせる。前半のシーンで「オレはアートやってるのよ」と言い放つ経営者がただの女衒と化す。この白々しさに向けての編集だったからこそ、オーラスは踊り子とも経営者とも関係のない、あのカットだったのだろう。ほんとはもっと踊り子を撮りたかったけど、さすがに前張りを貼るところを撮らせてもらうわけにはいかんしなあ、という事情もあり、ワイズマンとしては消化不良感があったのではないか。とは思いつつ、案外ご本人はあの白々しさが出せればいいんだよね、くらいに思っているのかもしれない。


ショー自体もまあすぐ飽きるわけですが、ショーパートのラスト、”アートストリップ”のBGMがあんなに微笑ましくていいんですかね、クレイジー・ホースさん。そこはもっと頑張ったほうがよくないですか。芸術監督、ノリノリになってる場合ちゃうんちゃいますかね。


× × ×


今日は先週の『ロンゲスト・ヤード』に引き続き、日比谷みゆき座にてロバート・ロッセンの『ハスラー』を見た。フィルムで見たのは多分初めてだけれど、オイゲン・シュフタンの、あの黒こそが生きていてそれ以外はどことなく白々しいようなあのトーンをフィルムで見られるのはいつまでなのだろう。もっともロッセンの映画を見ていると途中から画調を意識する余裕もなく、闇へ闇へと放り込まれていくのだが、どんどん個人的なほうへ行きそうだからこれ以上書かない。そもそもバックの音がほとんどないシーンが頻出する映画なのだが、最後10分くらいの、ボール以外の音がすべて消えてしまったようなあの重苦しい沈黙は客席を完全に支配していたし、映画館を出た身体の核にも、あの沈黙がまといついていっこうに離れようとはしない。

ロンゲスト・ヤード


ロンゲスト・ヤード』(ロバート・アルドリッチ、1974年)@日比谷みゆき座。


アルドリッチをフィルムで!劇場で!というこの機会を逃す手はありません。駆けつけてください、行ける方。


べつに傑作!だ何だと言いつのるつもりは毛頭なく、ただぐだぐだしている男が何となくシトロエンで爆走して何となく逮捕されて収監され、何となく囚人フットボールチームを作ることになり、最後は看守チームを相手に一世一代の大勝負、という「ただの娯楽映画」の、その娯楽としての充実っぷりを堪能してしまえばそれでよし。「自己の尊厳を賭けた闘い」とアルドリッチ自身によって要約されるテーマの(ちなみに『ロンゲスト・ヤード』についてのインタビューで、「あのラストはロッセンの『ボディ・アンド・ソウル』からそのまま流用したものだ、原作にはない」と語っている)、その「自己の尊厳」は「キンタマ」という言葉として語られるが、それを捉えて「男性映画」なんてレッテルを貼るのはあまりにも勿体ない。アルドリッチの「キンタマ」は女性にもあるのだし、例えば『The Big Knife』のパランスにはその「キンタマ」が決して持てない。そうしたものとして「キンタマ」はある。


今回劇場で他のお客さんと一緒に見てみて、おそらくビデオやDVDで見ているときよりもコメディ要素の強い映画だと感じたのと、随所でその時々によって違う人物たちによって炸裂する「ガハハハハ!」という笑い声の異様さが印象に残った。その笑いは単純に楽しかったりもするし、「笑うか、笑わないか」でその場にいる人々の人間関係を一瞬にしてわからせる演出でもあったりする。刑務所長の取り巻きみたいな奴がうっかり笑ってしまったり。(『ロンゲスト・ヤード』の刑務所長エディ・アルバートの役は、ニクソンをモデルにしたらしい。だからお付きがテープレコーダーを回したりしているらしいが、公開時の批評で誰もそのことに触れてくれなかった、とアルドリッチ御大は拗ねていた。)


あの笑い方ができる人は現在ではドリュー・バリモア姐さんくらいしかすぐには思い浮かばないが(『ローラーガールズ・ダイアリー』にあふれる女性たちのガハハ笑い!)、そんなガハハ笑いはやはりスクリーンで、他のお客さんと一緒にガハガハ笑いながら見るほうが断然楽しい。これを逃すと映画館で見る機会もそうそうないと思いますので、ぜひ劇場に駆けつけてみてください。今週金曜(13日)まで、日比谷みゆき座。


ちなみに土曜(14日)からはアルドリッチとも深く縁のあるもう一人のロバート、ロバート・ロッセンによる『ハスラー』がかかります。


走れ!つぶせ!急所を狙え!

ダーク・シャドウ


ちょっと以前に見た『ダーク・シャドウ』。言わずと知れたティム・バートン監督作。


これだけのものを作られてしまうと特に言うこともない。海を滑っていく導入から、完璧さに震える。メロドラマとコメディーとホラーとアクションに加えて70年代ポップ、とあらゆるものをこれだけ詰め込んで、それでも「ただのアメリカ映画」として誰にでも見られるのが何より凄い。


監督の奥さんはちょっとミスキャストだと思うけれど(個人的にはマリサ・トメイ姉さん希望)、まあそれは仕方ないとして、女優陣の適材適所っぷりは半端でなく。それぞれがそれぞれの役柄にぴたっとはまる。ミシェル・ファイファーエヴァ・グリーン、家庭教師のベラ・ヒースコートクロエ・グレース・モレッツ……。溝口ふうに『コリンズをめぐる5人の女』とでも言いたいような、とにかく贅沢な女優陣だった。フォードの喧嘩をセックスに置き換えたらこうなるかという、ハッスルしすぎなセックスシーン。階段から現れるミシェル・ファイファー VS エヴァ・グリーン。……いやあもう。映画見ててよかった、と思える映画。


いやあ、しかしセフレが魔女だとほんと恐ろしいですね。