男と女と車とキャメラ


河島英伍っぽい映画(嘘)、アッバス・キアロスタミトスカーナの贋作』。


ロッセリーニ『イタリア旅行』を下敷きにはもちろんしつつ、フランス映画の皮もしっかり被りつつのアメリカンなラブコメ。として見ると、男も女も抽象化されすぎていやしないかというのが唯一の不満なのですが、キアロスタミがここまで「よきアメリカ映画」に近づいたのは初めてのこと。リンクレーターの『ビフォア・サンセット』に近い感じも受けました。


冒頭、遅れてくる講演者の男。遅れてくる子連れの女。講演中に響く鐘の音と、携帯電話の着信音。そして車。となると、これだけでどこまで行けるか、という映画にもちろんなるわけで。切り返しと2ショット、音。当然、鏡も重要になってくる。このあたり、キアロスタミはさすがに上手い、というか上手すぎてあざとさも感じるあたりはやっぱりキアロ。至る所に新婚さんがいたり、2つのカップルの周囲をぐるりとキャメラが旋回したり。迷宮のような骨董店のキャメラワークの見事さよ。


しかしあのカフェのシーンにはやはり不意をつかれて動揺してしまった。あの切り返しに、あのおばちゃんに。もう、それだけで「ああ映画だなあ」と感じ入ってしまう。最近のキアロやホウさんは、ほんとに魔術師の域に達している。あの猫はなんであそこにいるんだろう。横たわるビノシュの、あの翳った魅力を何と言えばよいのだろう。


ちなみにこの映画で描かれる噛み合わない論争、あまりに日常すぎて呆れました。みんなあんな感じなんですよね?違うんですか?