原発停止を希望

小刻みに続く余震、まだどうなるかわからない原発、春の寒暖差、のどれがどれだけ絡んでいるかわからないが、今日は一日、ぐったりしていた。

原発停止を希望、とりわけ浜岡原発停止を希望

何度でも言うけれど、現状のまま原発を動かし続けるのは、正気の沙汰ではない。危機の想定が完全に間違っていたことが明らかになったのだから。まず、日本全国の原発について、少なくとも今回規模の揺れと津波に耐えられるかどうかのデータを出し、危険度の高いものから順次停止すべきだろう。地殻活動が活発になっていると気象庁も発表しているのだから、関東圏の原発は今すぐに停めるべきだと考える。


今後、たとえ何十年後だとしても、フクシマの記憶が生きているうちにもし浜岡がハマオカになったとしたら、日本という国を誰も信用しなくなるだろう。関東圏に住むのはそれ自体、ある種の選択になるだろう。いま原発を停めれば、たしかに電力は不足するだろうが、国への信頼がなくなるリスクと、どちらを取るのか。電力不足は予測して対処できる。しかしフクシマの影響がどこまで拡がるのか、現時点でもまだわからない。二度目ともなると、諸外国ももう見放すだけだろう。


今回こんな事態になった以上、どちらに進んでも痛みなしに済ますことはできないことを認識せよ。わたしは今年30歳になるが、我々の子ども世代、孫世代、子どもたちの子どもたちの子どもたちのために、いま進んで我々が痛みを負わなければならない。先に生まれた者の、それは責任だ。


今回の地震原発に関して、誰の目にも明らかになったこと。それは

地震の多い国に原発は向かない」

という、ただそれだけのシンプルな事実だ。今回の「想定外」を踏まえて「想定」は改められるだろうが、新たな「想定」を越える災害が来ないと、誰に断言できるだろう?余震の揺れでさえ、以前の想定を越えていたという。(日本経済新聞 4/13の記事より


わたしはこんな光景を、二度と見たくない。人になついた犬が放置されている、こんなにも絶望的な光景を。


4.10 高円寺脱原発デモの反省、東京オリンピック反対

先週の日曜に、高円寺で行われた脱原発・反原発デモに行ってきた。生涯二度目のデモ。参加者は、主催者発表で1万5000人にのぼったそうだ。


下記の動画はそのとき撮影したものだけど、脇の声はお許しを。トイレに行きたくなってデモ隊から離れたときに撮ったもの。


【2011.4.10 高円寺デモ】


今回のデモについて、問題点は幾つもあったが、結局はデモ前から疑問に思っていた次の三点に尽きる。

  1. なぜ高円寺なのか。
  2. なぜ知事選挙当日なのか。
  3. なぜサウンドデモなのか。

1。高円寺でデモをやったって、「サブカル好きな若者が騒いでいる」くらいの印象にしかならない。また、これは実際にデモに参加してわかったことだが、狭い道でデモをやることは、隊列が細く長くなるだけで、全体がだらだらするだけ。狭い道を塞ぐのは、近隣の人たちにも迷惑で、かえって反感を買うだけだ。


2。これも予想どおりと言う他はないが、知事選当日にやったって、メディアの注目が集まるはずがない。当日、「反原発」に加え「反石原」を叫んでいた人もいた。立場的にはわたしもまったく同じだし、原発問題と石原の言うことは同じ根(自民党体質)を持っていると思っているが、そこはややこしくするな。シンプルにひとつだけアピールしないと、「何にでも反対したいだけの人」としてしか見られなくなる。ついでに「東大いらない」「阪大いらない」とも言っていた人がいた。くだらない。


3。最近はこのサウンドデモが増えているが、当日、近隣住民が「うるさい」と怒っていた。そりゃスローガンを叫ぶのだってうるさいには違いないが、聞きたくもない音楽を大音量で聞かされる不快さに比べればましだろう。デモに法的効力などなく、デモ外の人たちへのアピールを第一の目的にする以上、近隣の人々を無駄に不快にするサウンドデモの意味がわからない。「若者が騒いでいる」という印象になり、反感さえ買うだろう。個人的にもかっこ悪いレゲエとか、そんなもん聞きたくない。


というところから、今後は以下のようなやり方を提案する。

  • 新宿、渋谷、日比谷公園〜内幸町(東電本社)のような広いところでやる。
  • メッセージは「脱(反)原発」のみにして、それがわかるように何か統一を持たせる。たとえば全員マスクに透明レインコート、だけでもいいんじゃないか。
  • 粛々と行進する。個人的にはまったく無言・無音にしたほうが、見ている人の心に響くと思う。


次回以降、1万5000人も集まることはないだろう。反原発サイドでの意見の違いもでてくるだろう。サウンドデモ派とアンチサウンドデモ派、とか。反原発の勢いも薄れてはいくだろう。今回、あまり大きなアピールにならなかったことは、大きなチャンスをみすみす逃したかもしれない。だが、ここでやめてしまうわけにはいかない。石原は不快に過ぎるが(東京オリンピックのために莫大な金をいま使うなんてすぐに止めてほしい)あと4年だし、近い将来に死ぬだろう。だが原発を、少なくとも今あるような形で子々孫々に受け継がせるわけにはいかない。どういう道が最短なのかはよくわからないが、焦っている。これだけはやらなければならない、とせきたてる自分がどこかにいる。とくに党派に依存しないデモに1万5000人が集まった。まだ希望はある。