行きずりの街


『行きずりの街』(阪本順治)@丸の内TOEI。志水辰夫原作のノワールもの。


とにかくこの映画、雑誌NobodyのWeb記事で梅本洋一氏が書いているマンションのシーン、仲村トオル小西真奈美がよりを戻すこのシーンに尽きる。このシーンは何度でも見たいと思う。離婚してから12年振りの再会。一度目は何も起こらず、二度目の再会。男と女は再び諍い(パンツのことで怒鳴る仲村トオルはほぼギャグの域。あんた12年振りでそれかよ!)、男は出て行こうとし、ずっと張り詰めていた女が泣き出し、男が女の肩に思わず手をかけ……。ここで起こっていることはほんとうによくあることだけれど、まさにいま目の前で起こっているような緊迫感に引きずりこまれる。圧巻。


仲村トオルと何かあったのだろうがそれが何かはわからない初登場シーンの着物姿の艶やかさ、謎めいた雰囲気。麻布のクラブ(酒飲むほうの)で働いている女にはまったく見えないのだけれど、その不似合いがかえって彼女の魅力を増しているように思う。それ以外の登場人物にまつわる物語は陳腐に複雑なだけだし、「ひとクセある」キャラクターがどうにも鬱陶しい。仲村トオルが月を見る動作をした後にわざわざ月のインサートショットを入れる凡庸さにも辟易する。説明しすぎ。手のラブシーンにも服の擦れる音はいらないだろう。


しかし小西真奈美が出て来るシーンだけは突出していて、例えば必ず戻ると言い置いて仲村トオルが出ていった後、白々と日の入った部屋で乱れたベッドを眺めて枕の位置を直す小西真奈美を引きで捉えるカット、ここに充満する静かなサスペンスにもぞくぞくした。まあこの映画の小西真奈美、「それでもオレを待ってくれている女」という野郎どもの幻想の産物にすぎないと言えばそのとおりではあるんですけどね。でも、よかった。ちなみに、塾の国語教師、という設定に感情移入したフシも否めなかったりしますが、授業中にあんなにボーッとしたりしたことはなかったです。


ちなみにこの後、ポレポレ東中野にて『堀川中立売』(柴田剛)という映画を見たんですが、ある世界観に基づいてしっかり作られていて全然見られるにも関わらず、個人的に面白いと思えるポイントが一切ない、という珍しい体験をしました。見たいと思う顔やしぐさが一つもなかったです。