ぼくのエリ 200歳の少女


久々に更新してみる。
テアトル銀座で公開中の『ぼくのエリ 200歳の少女』トーマス・アルフレッドソン)を見た。


いじめられっ子の童貞美少年と、200年生きている吸血鬼少女のラブストーリー。舞台は雪、日本に入ってくるのは珍しいスウェーデン映画。


序盤は極端に深度の浅い画面にいちいち前景と後景が設定されていて、フォーカス送りで小出しに見せる。画角もやたらと狭い。決定的なところは引くのだけど、これがまた平面的なキメ構図で、決定的ですよここ、と主張する画。まさか全部これか、と押しつけがましさに辟易しだすが、まあこれは主人公の童貞男子の世界の狭さや息苦しさとリンクしていたことが途中でわかる。にしても、いらないと思ったけど。


メインの童貞美少年の童貞性の描写が細かい。いったん女の子に気に入られて、女の子の言葉に励まされていじめっ子に抵抗したら、すぐ調子に乗る。で、その後で凹む。逆ギレ気味になる。そういうとき、美少年の顔がちゃんと醜くなっているのがいい。吸血鬼少女エリの顔が、シーンによって大人っぽく見えたり子どもっぽく見えたり、別のものになったりと変化するのもいい。写真のシーンは、この二人のやりとりの白眉。甘酸っぱいです。よかった。脇役陣の顔も、いい味の顔ばかりで、金なさそうなおっさんおばさんグループの顔、みんないい。メンバーの一人の家が猫屋敷なのもいい。猫が後で活躍するのもいい。とにかく顔については、やたら寄るのだけど、見ていて飽きない。音も繊細にいい音が入っていて、この音があればべつに寄り画を入れなくてもいいのにと思う箇所も数箇所あった。


全体的にやや単調ではあるが、ちゃんと考えられて丁寧に撮られている。とくにスプラッター的なシーンを見ると、映画的記憶が備わっている人なんだということはよくわかる。新しいものはないのだけど、良心的できゅんきゅんありスプラッターありの、いい映画でした。雪と死体って組み合わせは映画的だよなあ、いいなあ、と思う。一皮剥けば何かが埋まってる感。血の赤も映える。まあずっと雪だと単調になりやすくはあるし、アクションが難しくなるというハンデはある。


わたしが決定的にノッたのは、エリと保護者的なおっさんとの絡みで、ナボコフの『ロリータ』も彷彿とさせるような、滑稽さ含みの切なさにあふれている。少年との絡みよりもぐっときた。ここはぜひ見ていただきたい。病院のシーン、泣いたよ。